寝楽起楽

ネタばれには配慮しない、感想/紹介ブログです。毎週1回更新 +α を目指したかった。

現実から逃げるな、の二側面

「現実から逃げるな」的な言葉を冗談混じりに投げかけられることが多い。そこで反省して自分の人生を見つめ直していたのだが、この言葉には実は

 

•主体性を持って自分の人生に責任持って生きろよ

•人間社会(ないし所属組織)における責任を果たせ」

 

の、2種類の意味があるのでは? という仮説が立ったので、覚え書き。唐突に終わります。

 

まずは前者から。

 

◾️自分の人生に責任を持て! の話

 

これはさらに細分化できて、「今の行動が未来の私の結果になることに自覚的であれ」と、「今の境遇は過去から作られていることに対して嘆くな」のに2方向があると思う。

 

んで、このどちらの文脈で言葉を投げられたとしても、私は「そりゃ当たり前だわな」としか思わん。つまり、この文脈についていえば、私は私の過去の行動+環境要因の結果生じている、私の今については納得している。

ということは、帰納経験的に、未来の私も、私が今どんな行動を取るとしても、その結果によってできあがる自己に納得すると言える。

ここで、「納得」という言葉を使ってるのが私的大事なポイントで、どうやら私の中で「納得」と「満足」は別物らしい。

「満足がいっているかどうか」で自分の今を考えると、「そこそこ満足(妥協)している」という表現がもっとも適当になりそう。なので、「自分の人生に責任もてよ」は、その亜種の「もっと満足いく人生を送れよ」と言われるほうが、私には刺さりそう。(が、「真に満足いくように」となると、私は仕事辞めて夢を追う、とかやりかねない部分はある)

 

また、「自分の人生に責任を持っていない」もいう批判も遠からずの面はある。というのも私は、「過去の私も今の私も、私ではあるけど同時に他人だよね=未来の私が今の私の行動の結果苦しもうとも、シラネ」という思想の持ち主でもあるからだ。

なので、この意味では「人生に責任持て」も批判として適当。(でもこの投げやりさは言われてもたぶん、治らん)

 

◾️人間社会(組織)における責任を果たせ

 

これは「人間存在としての責任」から、「所属している会社でのノルマ」まで、文脈の幅が広い。で、「現実から逃げるな」と言われたとき、私がまず真っ先に連想し落ち込むのは、どうやら「人間存在としての責任を果たせ」のほうっぽい。

先ほどの「納得」という話とも関わるのだが、なぜ私が私の人生に納得できるかといえばおそらく、「理不尽を押し付けられた経験がない」からだと思う。これは私が理不尽から逃げるのがうまいのではなく、ただただ、周りの方々や環境に恵まれている、としか言いようがない。

 

ただいっぽうで、世の中には理不尽な境遇にいる人がめちゃめちゃたくさん居る。で、その理不尽さを是正しようとしている人も少ないながらいる。が、たまに、なにがどうしてそうなってしまうのか、むしろ理不尽を促進しようとする動き、も一方としてある。

私がこの中で一番罪悪感があるのは、「理不尽を促進する」を止められない、にありそう。理不尽を促進することは、納得できない人を増やすという意味で、人間世界を負にいかせる活動であって、しかし私はそれを指を咥えて見てるだけじゃん、ていう。

 

この罪悪感を、私は書籍編集という稼業に就いたことで昇華していそうである。

ぶっちゃけ今、著者の方々が書籍を書いて得られる直接的なメリット(印税)なんて、ほとんどの場合大したことない。にもかかわらず、この出版不況期に本を書いていただけるのは、心のどこかに「世界をもっとよりよくしたい」という気持ちもあるんだろう、という勝手な想像がある。

んで、私の仕事は、広くいえばその活動を支援することでもある。そして、仕事をする原動力の一つに、「これによって世界が少しでもよくなったらいい」という、祈りめいた感情は間違いなくある。だがこれはすごく抽象的な観念であって、「そんなん欺瞞だろ」と言われたら黙るほかないな。

(後、同じマスコミでも、下世話系のとこに行ったら急激に病むかもな、これ)

 

 

では、人間存在についての責任ではなく、所属組織における責任を果たせよ、て文脈ではどうか? これはまったく理不尽でもなんでもない糾弾だし、実際私は責任を果たしていないので、これは正味返す言葉もなし。

どころか、「俺みたいなやつでも居られる場所でいてくれ」という甘えがすごくあり、これはまったくもって「現実から逃げている」状態だな。

 

整理がついたので、終わります。