寝楽起楽

ネタばれには配慮しない、感想/紹介ブログです。毎週1回更新 +α を目指したかった。

惰性でマスクを着けている

近頃外を歩いていて、マスクを外している人を頻繁に見かけるようになった。着けている:外しているは体感では1:1、ひょっとしたら外している人のほうが多いかもしれない。特段と暑い今日この頃であるし、5類に移行もしたことだし、「まぁ、そろそろいいだろ」という気分になるのは別段不思議なことではない。

とはいえ、コロナそのものの脅威が収まったわけではなく、「第9波だ」と言われたり、かと思えば「国内旅行がコロナ流行前の水準に戻った」と言われたりしている今日この頃、私はマスクを着けている。

 

ただ、私がコロナに対しことさらに敏感かというと、まったくそんなことはない。周囲に人が居ない状況であればマスクを外すことも頻繁で、店先に置かれているアルコール消毒も、たびたびスルーしてしまう。

ワクチンも、効果が半減すると言われた半年はもう過ぎてしまっているが、まだ打ちに行けていない(こう書き連ねるとマジで良くねえな。反省)。

 

なのになぜマスクだけは着けているかといえば、これはもう「惰性」というのが相応しいだろう。

「マスクは熱がこもる、皮膚がかぶれる、顔が見えない、思考が散漫になるから嫌」などなど、一般にマスクが嫌いな理由は色々とあるが、幸いなことに(?)私はこのいずれにも当てはまらなかった。ゆえに、マスクを着けることが半義務化していた時期にも別段違和感なくマスクを着けることができた。

そして「よくわかんないけど、そろそろいいんじゃないすかね」というぬるい空気が流れ始めているように見える今現在は、どちらかというと、マスクを着けないことのほうになんとなく違和感を覚えるようになっている。

 

コロナのことを考えると、「こんなもんが流行するなんて、出てくる前は想像もつかんかったよなぁ」という妙な感慨を覚える。「未来は常に予測不可能なものだよ」というのは、思い悩む少年少女への励ましなどで使われる常套句だけれども、こんな形で実感してもうれしくもなんともない。

(たぶん)世界中の人々が「マスク」なんつうたかが一アイテムのことを考えた、というのも、なんだか変な話である。

 

こんなことをつらつら書いているのは、マスクを題材にしたあるWeb漫画を最近読んだからである。「読解アヘン」というサイトに掲載された「くれない夕日のブラインド」という短編漫画だ。赤面しがちな自分を厭って、常時マスクを着けている少女が主人公で、2014年、つまり、コロナ前に描かれたものである。

 

「読解アヘン」は「堀さんと宮村くん」などで有名なHEROさんが運営しているサイトで、私が中高生のころに友達間で流行っていた。この前会話の流れでふと思い出した折にサイトに飛び、「新作連載されてんじゃん!!! うおおおおお」というノリで、一作一作読み直していたのだが、その中の一つとして本作はあった。

 

「今の時代だったら、この子も生きやすいだろうなー」というのが、一読して出てきた感想だった。ストーリー展開も、コロナが念頭にある現在では成立しにくい。

作者もまさかマスクを物語上の道具として使ったことで時代性を帯びるとは思いもよらなかったはずだが、今の中高生が読んでも、いまいち飲み込みにくいだろう。……とこんなことを思いながら、こんな感想が出てくること自体に、我ながら少し驚いてしまった。

 

今の私たちは多かれ少なかれ、コロナを前提として生きている。「国内旅行が感染拡大前の水準に戻った!」「もうそろそろマスクを外してコロナ前の生活に戻ろうよ」などといったところで、コロナが流行した(している)事実そのものが無かったことになるわけではない。これはあらためて言うまでもないほどのことではあるけれども、私たちは(と言うとまずければ、私は)現状に慣れてしまう生き物で、「昔はそうではなかったこと」を忘れていく。が、今回の漫画のように、時代性を帯びたものたちが、私を一瞬、過去に連れ戻すことはこれからも起きるのだろう。そして、たとえ作者がそれを意図していなかったとしても、それが起きること自体は、私にとってなんだか重要なことのように思える……。

 

とか考えてたら、とりあえず2023年7月7日の私の所感を残しておきたくなったので、ばーっと書いているしだいである。「なんかいいんじゃね」という空気の中、私は惰性でなんとなく、いまだにマスクを着けている。