寝楽起楽

ネタばれには配慮しない、感想/紹介ブログです。毎週1回更新 +α を目指したかった。

●●のおかげです

「感動の超大作」「全米が泣いた」など、無数にある使い古された誇大コピーの一つに、「これで人生が変わる」というものがある。私はこれを見るたびに、ちょっとした引っ掛かりを覚える。

 

まず、「人生ってそんな簡単に変わんなくね?」という疑問がある。自分の生き様をいきなり180度方向転換できる人も居ないわけではないとは思うが、「人生が変わる」商品の数はその数と比べてあまりにも多すぎる印象だ。ただこの疑問は、「人生が変わる」という表現を、「それのおかげで人生が一変する」というレベルにまで、重く見すぎているからかもしれない。

となると今度は、「じゃあ、どっからなら「人生が変わる」レベルなの?」という疑問がわく。たとえば、「近くのスーパーで肉が●円だったけど、もう2分歩いたスーパーではさらに●円安いことに気づいた」といった些末な出来事であっても、「人生が変わった」と言いたいのであれば別に言ってもいいのではないか、と思えてしまう。……と考えてみると、要するに、私の疑問は「人生が変わった」てそもそもどういうことなの? というところに帰結するっぽい。

 

私が「人生が変わる」系の表現にひっかかるのには、これまでの人生の中で、「あなたのおかげで今の私がある(=あなたのおかげで人生が変わりました)」と明確に表現したことがあるからだ。と書くと運命の出会い的な、超ロマンチックな話になりそうだが、相手はおっちゃんで、ありていにいってしまえばただの塾講師である。

 

私が通ったその塾では、受験合格後、先生に対して「あなたのおかげで~」を本文内にいれたお礼の手紙を書く、という客観的になかなかな風習があった。またその塾は、受験テクニックだけではなく、「これからの社会をどう担っていくべきか」的な人生訓を同時に伝えようとするような、なかなか個性的な場所であった。必然、そこに向け「あなたのおかげで変わりました」と書くと、そこには単に受からせてくれたお礼という以上に、「私の生き方も含めて変えてくれてありがとうございました/変えてくれた私でもって進んでいきます」という意味も含まれる空気があった。

私自身は、当時から冒頭に述べたような疑問も抱いていたし、冷静に考えるとこの空気ヤバいよねー、とも感じていたのだが、「でも、この塾のおかげで受かったのは事実だしなぁ」と思い「あなたのおかげ~」を書いた記憶がある。100%本心ではないけど、ある程度は本気でもあることを自覚したうえで、「演技」した、とかいうとそれっぽそう。

 

「あなたのおかげで変わりました」は、一見すると、過去と比べて変わった、今の自分を追認する言葉のように思える。だが、私の中ではどちらかというと、この言葉は「あなたのおかげで変わった、という演技をこれからも続けます」という、未来に向けた宣言の意味合いのほうが強い。

私が「これで人生が変わる」に引っかかるのは、つまるところ、「それって、こっちに演技を強要してない?」と思うからかもしれない。

 

ただ、商品コピーなんかも考える立場から考えると、「人生が変わる」みたいな表現を使いたい気持ちはわからんでもない。し、実際に私自身がそれに類するコピーを付けていることも多々ある。

私の感覚では、商品を世に送り出すのは、どこか演技に近しいところがある。同業者はどうか知らんが、少なくとも私は、嘘かもしれないとも思いつつ、でも「役に立つだろう、誰かの人生が変わるだろう」と思えないのであればやってられない気がする。そのようにして演技するのであればできれば本気で、安易に「人生が変わる」なんて表現には逃げずに、それぞれに見合った演技をしたいもんですね。(まあそれがむずいんだけどね)