寝楽起楽

ネタばれには配慮しない、感想/紹介ブログです。毎週1回更新 +α を目指したかった。

社会人・楽器未経験からチェロを2年半習って得た気づき

社会人2年目の7月、仕事にもちょい慣れたぐらいのころからチェロを習い始めてはや2年半が経った。学校での音楽の授業や体験レッスンだったりを除いて、本式で楽器に触れるのはこれが初だ。

 

習い始めに調べた折では、「社会人でチェロを習い始める人」はそこそこ居るものの、その多くが他の楽器の経験者だったり、あるいは中高時代にちょっと学んでいたのを引っ張り出してきたりで、ガチの未経験からの体験記はそんなに多くなかった。

そこで自分の記録として+(一応)「これから楽器始めたい人」に向けて、2年半での気づきをまとめようかなとおもったしだい。

自分が思いついたトピックをつらつら書いていくので、網羅性は期待しないでほしい。

 

なお、私の音楽経験の現状は以下の通り。

 

・月3回×各1時間のレッスンを受講

・週に計約2.5時間くらいの自主練(だいたいレッスン前)

・(自主練月10時間 + レッスン月3時間)×30=計390時間くらいの練習量

・楽器は所持済(レッスンを受け始めて4カ月後くらいに購入)

・(チェロわかる人向けに)教本の進度は以下

 ヴェルナーのチェロ教本→ p.45

 スズキチェロ教本→ 3巻の3、4(ボッケリーニのメヌエットと、4ポジで弾く荒城の月)

 

ではこっから「音楽練習の内容面(弾くことについてとか)」と「音楽練習の形式面(費用とか負担とか)」と「その他」の3つに区分して、思いつくままに書いていく。

 

◾️内容面 

●身体を操作すると音が出る/音は身体で感じ取る

「あたりまえじゃん」と思うかもだが、実際やってみるとこんなことにもびっくりするもんである。

チェロは弦楽器の一種で、張られた弦を弓の毛で擦ることによって音が出る。で、その弓は右手でもって動かすわけだが、「自分の身体の動きに呼応して音が出る」というそれだけで、特に初期のころはめちゃ面白かった。

しかも、ただ「音を出す」というだけなら別にどうやったってできるところ、「いい音を出す」にはけっこうきめこまかい身体の動作が必要になる。言葉で表現すれば、

 

・弓を持つ右手は脱力して、チェロにそっと置くイメージ。力ではなく重みの乗せ方によって強弱を出す。弓を動かす時は手首ではなく肩から

 

とかになるわけだが、こういう一つひとつを教わるたびに「へぇ~、楽器を弾くって身体運動なんだなぁ~」と思えておもしろい。

また、(これはチェロならではかもしれないが)自分が弾いている音が一番よく聞こえるのは、一番真近にいる自分自身、というのも楽しい点だと思う。特にチェロは、自分の身体に楽器をもたせかけるようにして弾くので、自然、楽器の震えそのものを身体で受け止める形になる。これがけっこうテンションが上がる。

(半面、弾いているときに聞いている音は録音して聞く音の何倍もうまく聞こえているので、客観的に聞くとすごいテンションが下がりもする)

 

●弾いている時の心は、ちゃんと音に現れる

上の身体的なところだけ気を付けておけば「いい音」になるかといえば、そういうわけではない。集中して弾いていなければ音は雑になるし、「ここはやさしい感じで弾こう」とか、そういうイメージは音にちゃんと現れる。「なにわかったようなこと言ってんねん」と思うかもしれないが、例えば「今日弾いてて楽しー」というときは音がいい感じになる、ていうのは直観的に分かりやすいところじゃないかなと思う。

●心も体もどっちも大事

ということでまとめると、いい音を出すには「心と体(と技?)」のすべてが重要、ということになる。この2つは、たぶん相互に補完しあっている。

たとえば、「もっとやさしく」といった指導は初期から言われはしていたが、正直「やさしくってどうやるんだ??」と思いながら見様見真似で、という感じではあった。それが「ああ、やさしくってこうか」と段々感じがつかめてきたのがこの1年くらい、という実感がある。これは心と体の両方が、ちょっとずつ音楽に適応してきた結果だろうと思う。

 

●音程を正確に弾いても、ただ弾くだけでは曲にはならない

先にあげた3つは個々の音についてを念頭に書いてきたが、一つの曲という単位でみても、同じことがいえる。

ある曲を与えられたときに、いくら音程だけを正確に引いたとしても、それはどこまでいっても「子供の学芸会」の延長でしかない(ばちくそうまい子供もいくらでもいるけど)。音程は合っていることは前提として、その曲のことをちゃんと解釈して、曲ごとの聞かせどころを意識して、細部まで注意できてはじめて聞いていて心地いい曲になる。めっちゃむずいけど、たぶん、最終的な到達点はここだろう。

(……なおここで、「音程だけ取った場合」と「曲として成立させようとした場合」でどれだけ音が変わるのかの実例見せられるかな、と思って録音したものの、僕のレベルでは大差なかったので共有できなかったことを付記しておく。悲しいね!)

●音程を取るのはくそむずい

やたら意識たかいことを書いてきたけど、「とはいえ」という話その1として、楽器、めちゃむずい。音程ですらまともに取れない。

しかもチェロはギターでいうフレットがなく、「どこをおさえればなんの音が出るか」というとっかかりがない。正直ずっと勘でやってる。この先勘から脱出できる見込みもあんまりない。うわ~~~

 

●そもそも楽譜をいまだに読めない

とはいえその2。これは我ながらびっくりなのだが、「リズムが取れない」とか以前の問題として、いまだにどのおたまじゃくしがどの音を指しているのかを把握しないままレッスンを受けている。「続けてればそのうち自然に読めるようになるだろー」と思っていたのだが、ならないままここまで来てしまった。

それでなんでここまでやってこれたかというと、(これもたぶん弦楽器特有?で)「楽譜に指番号が振られている」からだ。つまり、「このおたまじゃくしはこの指でおさえて弾けばいいですよ」という指示が楽譜にあらかじめ書かれているので、「その指をおさえると何の音が出るのか」がわかっていなくても弾けてしまう。

……が、半年ほど前から徐々に指番号が振られていないゾーンに教本が突入しはじめたため、しょうがないのでちょっとずつ覚えようとしている、というのが現状である。

 

●意識すること多すぎ

ただでさえ楽譜がちゃんと読めないのでワンテンポ遅れがちなのに、それに加えて「これはスタッカートで」とか「徐々に音大きく」とか「アクセントつけて」とか「ここの弓はアップじゃなくてダウン」とか「ここはつなげてこっちは離して」とか、もはや混乱の極み。実際その辺意識するとうまくなるのは確かなのでがんばるしかないのだが。

 

●どんなにかんたんな曲でも弾き切るのめっちゃむずい

上のようにいろんなことを意識しようとすればするほどミスは増える。結果として、「ミスなく弾き切る」ことがいかに難しいか、がとてもよくわかるようになった。ほんでたぶん、うまくなればなるほど意識することは増えていく = どんなにかんたんな曲でも、「弾き切る」最終形に終わりはないんだと思う。むずいね~~

 

■形式面

●月3回というレッスン頻度は(楽器の上達を考えれば)適切

そもそもレッスンを月3回にしたのは「まったく練習しなくともある程度上達できそう」で「俺はたぶんあんまり練習しないだろう」という確信があったのだが、これは完全に読み通りだった。

これがたとえば「月2回」であれば「隔週に1回」のペースだが、次のレッスンまで2週間あると、最初の1週間は楽器を触らずに終わる可能性は(私は)高い。それが月3回だと、「毎週レッスンがあって、たまに隔週になる」という体感のため、あんまりさぼれない。

ただ、現状レッスンを土日にいれている関係上、月8回ある「1日自由に使える日」のうち3日が問答無用で潰れる、というのは正直負担といえば負担ではある。たとえば旅行とか気軽に行けないしね。

ただ、もともとそんなに外出するほうでもないので、レッスンがなかったら一日家でだらだらするだけな気もしている。

 

●費用もけっこう馬鹿にはならない

まずレッスン料がかかる。自分の楽器がほしいならその楽器代もかかる。楽器は買って終わり、ではなく、メンテナンス代もそこそこかかる(チェロは一回につき万単位で飛ぶ)。あと年に2回ある練習発表会も曲者で、こいつも参加すると万飛んでったりする。趣味にかける費用としてはそんなに高くないかもしれんけど、とはいえ出費は出費であるのは確かだ。

このへんの負担とかも考えつつ、柔軟に、自分のペースで楽しめる範囲で楽しむのがベストかなあと思う。

 

■その他

●チェロのケースっぽいものを背負っている人を見ると「おっ」と思う

仲間意識を勝手に感じる。

 

●すれ違う人達の中に、実は楽器できる人いっぱいいるんだろうな~と想像する

こういう想像ができるのは世界広がった感がある。

 

●「今聞いてる曲チェロで弾いたらどんな風かな~」と想像したりする

たのしい遊び。

 

●生活そのものは(一見)劇的には変わらない

音楽自体はかねてから「なんかやってみたいなあ」と思っていた分だけ、期待値もでかかったのだが、「チェロを始める前」と「始めた後」で生活が劇的に変わった、という感じは、振り返ってみての実感としては正直ない。が、たぶんこれは楽器に限らずどんなことでもそうで、「始めてしまうと、始める前のことはわからなくなる」ということだと思う。

始めたてのころは劇的なものとして感じ取っていたはずの変化も、慣れてしまえばいつもの一日である。その証左として、チェロを始める前の土日、どういう一日を送っていたか、正直今よく思い出せない。つまるところこれはチェロが日常になった、ということで、これは喜ばしい変化と言っていいんではないかと思う。

(仮に「やめたい=日常からいったん離したい」と今後思ったとして、社会人だと「部活の引退」みたいな固定された期限がないのでたいへん、ともいえるかもしれんが)

 

今回はここまで~。次は「5年経って得た気づき」が書けるといいですね。では。