寝楽起楽

ネタばれには配慮しない、感想/紹介ブログです。毎週1回更新 +α を目指したかった。

最後の世代―終戦の日に寄せて

焼夷弾で街が焼けていく景色がきれいだった」

防空壕を探検するのは面白かった」

「下校の際に起きた空襲の後、焼死体をまたぎながら家に帰った」

「いずれ自分も学徒動員されて、国のために死ぬのだろうと思っていた」

 

今年で齢92だか93だかになろうという祖父が、ここ数年、戦争の記憶や記録をメールで親戚に送ってくるようになった。

当人は「ボケ防止」などと言っているが、「死ぬ前に語っておきたい」といった気持ちも、当然そこにはあるだろう。実際、90~100の大台にのっている方は、いまやそう多くはないだろうと思う。

......ということはひょっとして、今の私の世代あたりはそう遠くない未来、「WWⅡの記憶を当事者から聞けた最後らへんの人たち」になるのではないだろうか。ということに気づいたので、今回書きたいのはそんな話だ。

 

兄弟が戦地で行方不明になり、焼け跡の中を帰ってみれば、隣家が一面消え失せている。

祖父はこういうようなことを、「行きつけの喫茶店ができた」といった話題と何一つ変わらぬ快活な口調で、普通の話題かのように話す。

ごく自然にこうしたことが起こる日常の中で生き残った祖父は、私の母(祖父の娘)曰く、「戦後の自分の人生は、全部おまけだと思っている節がある」そうだ。戦中の風景も、そのような思考様式も、私にはただただ及びがつかない。

 

ほんの二週間ほど前、映画『Oppenheimer』『Barbie』の二つをかけあわせた『Barbenheimer』という海外のネットミームが、悪い意味で話題になった。

 

『バービー』『オッペンハイマー』旋風が北米を席巻 “Barbenheimer”として社会現象に(リアルサウンド) - Yahoo!ニュース

『バービー』米公式に対するワーナージャパンの抗議、海外メディアでも報道 ─ コメント欄は激論に | THE RIVER

 

そんな中で私が一番印象に残ったのは、「被爆三世」の立場から原爆について書き綴った、この記事である。

 

anond.hatelabo.jp

 

「もう78年も前のこと」だし「当事者はほとんど残っていない」、でもだからといってそれを風化させていいことにならない。そして、それを風化させないための語りは、その悲しみや怒りを喧伝するためではなく、二度と同じことを起こさないためになされるべきであると思う。

私たちは今後、「WWⅡの当事者と過ごした最後らへんの世代」になっていくだろう。そこで、私たちが生きる今後の中で、「WWⅢを経験する世代」にならず・生み出さずにいられれば、そのときはじめて胸を張れるんでねーか。

とかいいつつ、世界的にはすでに色々と怪しいのが、なんとも悲しいことでもあるけど。