『短歌の友人/穂村弘』『短歌をよむ/俵万智』『現代秀歌/永田和宏』『近代秀歌/永田和宏』読んだ。
てわけで今回は、そん中からこれは良い、と思った短歌を10首選んで紹介する。
どれもこれも短歌の入門書的な立ち位置のものなので、おそらく短歌が好きな方々にとっては常識でしょ、てレベルのものしか出てこないと思う。そこはご了承ください。あと、一応同じ人の作品は二首以上は選出しない自分ルールを課しました。
ということで早速。
○白鳥は 哀しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ 若山牧水
これめっちゃ好き。情景的にはむしろ鳥の凛々しさとかそっち方面にもっていく方が想像しやすいが、そこを哀しからずや、としたところまじ天才だと思った。かっこいい。この「や」が疑問なのか反語なのかでまた解釈が分かれそう。あと、「青」と「あを」でちゃんと別物として描かれてるって解説もなるほどだった。
○たすけて枝毛姉さんたすけて西川毛布のタグたすけて夜中になで回す顔 飯田有子
なんじゃこりゃ、と思ったが、何回か読んでるうちに段々頭を離れなくなってしまった作品。すんげえ追い詰められて手当たり次第に救いを求める様がそのまんま出てる。
57577で上手く分けられない感じも効果としてまた上手。上手さを追求した作品でもないんだろうが。
○例えば君 ガサッと落葉すくふやうに 私をさらって行ってはくれぬか 河野裕子
落葉を掬う、という言葉からはなんもかんも持ってて欲しい、というイメージが湧いてくるけど、実際小学校の掃除で落葉拾いやらされてた時、落葉って両手一杯持とうとすると必ずぼろぼろ落ちていった記憶。半端に残されちゃうと、それはそれでつらいんではないかという気がする。全部持っていかれたら楽でいいよなあ。
○この春の あらすじだけが 美しい 海草サラダを 灯の下に置く 吉川宏志
上の句大賞。反面下の句はやや狙いすぎな気もする。「あらすじだけが」ってことは、内容を見ていくとめっちゃドロドロしてるんでしょうな。灯の下に置いた海草サラダはあらすじなんすかね、内容なんすかね。
○やは肌の あつき血汐に ふれも見で さびしからずや 道を説く君 与謝野晶子
説明不要だと思います。日本史の教科書で見た。これも上の句がかっこいいよなー。
○君かへす 朝の舗石 さくさくと 雪よ林檎の 香のごとくふれ 北原白秋
下の句大賞。林檎の香のごとくふれってなんだよと言いたいが、この詩的な表現が全体を一気に引き立ててると思う。ふる、ではなくふれ、と読み手の願いがこめられているあたりもとても良さがある。帰っていく人が林檎が好きだったのかな。
○海を知らぬ少女の前に麦藁帽の われは両手をひろげていたり 寺山修司
映画かよ。うんと両手を伸ばす麦藁帽子の少年が目に浮かんでくる。われ、は海を知っているということは、帰省した先での出来事だったりするのだろうか。にじみ出る少年の夏の日の思い出感。少女は海を知ることはできたのだろうか。
○ねじをゆるめるすれすれにゆるめるとねじはほとんどねじでなくなる 小林久美子
別ベクトルで説明不要、というか説明不可能。まじでうん、そうだね、としかいえないんだけど、なんか好き。全部ひらがなっていうところが強いていえば鑑賞のポイントか。漢字だと意味が出ちゃうし。最初っからひらがなで始まるということは、最初からゆるまった状態なんだな、ということは分かるけど、でもだからなんなんだろう。
○遺棄死体 数百といひ 数千といふ いのちをふたつ もちしものなし 土岐善麿
これも同じく当たり前のことでしかないが、文脈によって重みを段違いに跳ね上げている好例。「いのちはひとつしかない」よりも、「いのちをふたつもってるひとはいない」と言われるほうが、なんとなく納得感が増す気がするのは何故だ。
○手でぴゃっぴゃっ
たましいに水かけてやって
「すずしい」と声ださせてやりたい 今橋愛
可愛い歌。水をかける魂は自分のものなのか他人のものなのか。俺のたましいも涼しくしてくれ。
今回の記事、初見時(2ヶ月ぐらい前?)に気に入った短歌に付箋貼っとく→そこからさらに選ぶ、という形式を取ってるんだが、最近暑いから十選に入った感は否めない。
以上十首。ほんとは10といわず気に入ったもの全部紹介したいが、付箋張ったものだけでも多分100は優に越えてしまうのでちょっと労力がない。まあ折に触れてほかの記事で見せていきたい。読んだ本のリンクは最後に貼っておくので気になったものがあったら探してみればよいと思う。
短歌の鑑賞は、作者の前景・詠んだ時の場面等々を考慮に入れる派/入れない派、短歌集での並びも重視する/しないなど、色んな見方があるらしく中々奥が深そう。そのへんが厳格に決まっているわけではない(というか、最近寛容になったのかな?)というファジーさが結構はまる。
ほんとは元々の短歌集を当たるべきなんだろうが、どうも苦手っぽい。我家に河野裕子さんの『蝉声』があったので手を出してみたはいいものの、同じことをちょっとずつ違ったところから繰り返されてる感じで耐えられなかった。
1首三十一文字の中に凝縮された完成度、というところが見たいのであって、そこを広げられていっちゃうとじゃあ普通の文章でいいじゃん、て思っちゃう。まあ実際あの1首1首の中にそれぞれ濃厚なものを感じ取る人もいるのだろうとは思うんだけども。
そこまでは自分のレベルがまだ足りないらしかった。
今回は以上。一応読んだ本の内容もざっというと、『短歌をよむ』が多分一番ゆるい初心者向け、『短歌の友人』は穂村弘の独自な短歌観を説明される感じ、『近代秀歌/現代秀歌』はそれぞれ100首ずつ有名どころを網羅していくものだった。以下はリンクです。