寝楽起楽

ネタばれには配慮しない、感想/紹介ブログです。毎週1回更新 +α を目指したかった。

詩人の感性:『短歌ください』 穂村弘 角川文庫 2014年

 穂村弘はまず、純粋な読者として、びっくりさせられたいんだと願っている。と、同時に、どんなに意外な作品でも、そのよさを自分はキャッチすることが出来るという自信と自負があるのだろう。そうでなかったら、毎回毎回「意外な作品」なんていい続けられない。投げられた球が短歌であるかぎり、いかようにも打ち返してみせるのが彼なのだ。

 「ごめんなさい」でいきなりはじまっても、「マイナスの切れ味がすばらしい」と打ち返し、「てのひら」で唐突に終わっても、「全ての思考を停止させるように突然出てくる「てのひら」がいいですね」と打ち返す。内容に関わらず、怖い歌はすべていい歌だとも言い切っている。(…)「意外な作品」の作者たちは、穂村弘という読み手を得て、どれほど励まされたことだろう。

(本著p258 俵万智による解説より)

 

 まさにこれ。

 

 

短歌ください (角川文庫)

短歌ください (角川文庫)

 

 

○内容

 雑誌「ダ・ヴィンチ」の企画「短歌ください」に寄せられた短歌を選者穂村弘のコメントつきで採録

 

○感想・考察

 穂村さんの一首一首の意味の汲み取り方が半端じゃない。

一読して微妙だと思ってしまうものも、コメント見ると成程深いと納得させられてしまい、悔しい。

 

 後解説読んで、「意外な作品」を志向する穂村さんと、「素直な作品」が欲しい俵さんで、傾向の違いがあることも知った。

 

・終バスにふたりは眠る紫の<降りますランプ>に取り囲まれて

(『シンジケート』)

 

・「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

(『サラダ記念日』)

 

 上が穂村さん、下が俵さんで、この二首はそれぞれ代表作として取り上げられることが多い。短歌に興味持ち始めると多分真っ先に覚えてしまう。そんぐらいよく見る。

 

 確かにこれ見ると、<降りますランプ>の捻り方と、サラダ記念日、の素直さはそれぞれ対照的。

 

 でも決して、穂村さんは「不自然な作品」が欲しいといってるわけではない。<降りますランプ>も、そういう風に呼ぶことはないけれども、言われてしまうとするりと脳裏に入ってくる自然さがある。

「短歌ください」で求められたのはそういう作品で、だから捻ってるんだけど直球、みたいな味わいがある。

 

○好きな短歌10選

 

・旗をふる人にまぎれて旗をふるだれも応援しませんの旗

 (陣崎草子・女31歳/p22

 

「現実的には全く無意味な行動を支える一人きりの思いの強さに対して感動を覚える」(穂村)。この「誰も応援しませんの旗」が、傍目からみてもそうと分かるように振っているのか、それとも「旗をふる人にまぎれて」いるように、誰かを応援している体で振っているのか。穂村さんは多分前者の読みだけど、自分は後者かなー。

 

・「日本野鳥の会」にいたという人よ わたしをかぞえたことありますか

 (やすたけまり・女・47歳/p35)

 

 「微かな凶器を感じさせる心の異次元に触れながら、同時に切実な愛を告げているようにも見えますね」(穂村)。これは野鳥の会=鳥好き=わたしは?という解釈の展開ですかね。「君」とかではなく「人」という少し他人行儀な感じからは、純粋にわたしがかつて鳥であれたかどうかを気にしているようにも見えます。 過去形なのも個人的にポイント高い。今は絶対に鳥ではない何か。

 

・最後だし「う」まできちんと発音するね ありがとう さようなら

(ゆず・女・18歳/p43)

 

 これは俵さん成分強し。「きちんと発音する」ことで、関係性はちゃんと終わっていくのでしょう。「こんなこと言われたら胸につきささる」(穂村)という言葉の通り、言われた側はずっと引きずってしまいそうな。

 

・石川がクラス名簿のトップですあから始まらない朝もある

 (はれやわたる・男・27歳/p87)

 

  「あ」から始まっていないクラス名簿の全てを不自然に感じさせるこの観点凄い。

 

・この部屋にはてんとうむしを閉じ込めてあるからこれはひとりごとじゃない

 (月下燕・男・36歳/p91)

 

 「てんとうむし」に頼るしかないあたりほんとにギリギリだなという感じ。

 

・一人でも眠れる僕は狂ってる熟れたベリーの果実を握って

 (小林晶・女・26歳/p126)

 

 「「一人でも眠れる僕は狂ってる」と思う僕が狂ってる、というところがいいですね」(穂村)。ほんとそれ。「熟れたベリーの果実」というのもまた肉感のある生々しさ。比喩なのかな。後詠んでるの女の方なんですよね、これ。

 

・ ヴォリュームをゼロに落としたラジオから一番好きな歌が聴こえた

(わだたかし・男/p134)

 

 これ一二を争うぐらい好き。「ヴォリュームゼロ」のラジオから聴こえるのは一番好きな歌以外確かにありえない気がする。

 

・寝返りをうったら君も少し起き僕をみつけてまた眠る ゆめ

  (空山くも太朗・男・33歳/p145)

 

 

 「まどろみの気だるい至福感がうまく表現されています」(穂村)。ほんとそれ。しかしこの歌、永遠に起きなそう感強い。ペンネームも寝ぼけてるみたい。

 

・子守唄あなたが歌詞を間違えてもう赤ちゃんは目覚めませんよ

 (岡本雅哉・男・36歳/p152)

 

 一番怖い歌。「赤ちゃんに子守唄を歌う」という図はそれだけで完成されているように感じられる、だからこそそこに一分の間違いも生じてはいけないという逆説。

 

・じゃんけんでいつも最初にパーだすのしっているからわたしもパーで

(須田千秋・女/p182)

 

  いちゃいちゃしやがってこいつら。

 

 <番外編>

・「動物と人間の違い何ですか?」倫理のテストに凄い嘘書く

 (ゆり・女・19歳/p220)

 

 穂村さんは「「嘘」=人間だけのもの。そう考えると、どんな「嘘」を書いたにしろ、それは正解だと思います 」とコメントしているが、これは「何ですか?」と聞いたのは教師だという読みだよね?

でもそれだと、「何ですか?」ではなく「記述せよ」とかにならない?

そうではなく、敬語が使われているという点で、多分これは生徒側から教師に、実際は考えてもいない質問を投げかけた、そのことに違和感を感じている、という歌だと思うんですよね。

 穂村さんに読み勝っただろ!!と思って嬉しかったので、番外編として取り上げた。まあほか全敗してるし、そもそも勝ち負け競うものでもないけどね。でも嬉しかったんです。許して。

 

以上。

 

絶対の三原則:『わたしはロボット』 アイザック・アシモフ 伊藤哲訳 創元SF文庫 1976年

          ロボット工学の三原則

一、ロボットは人間に危害を加えてはならない。また何も手を下さずに人間が危害を受けるのを阻止してはならない。

二、ロボットは人間の命令に従わなくてはならない。ただし第一原則に反する命令はその限りではない。

三、ロボットは自らの存在を護らなくてはならない。ただしそれは第一、第二原則に違反しない場合に限る。

          ロボット工学教科書 第五十六版 紀元二〇五八年

(本書p8より)

 

 

わたしはロボット (創元SF文庫)

わたしはロボット (創元SF文庫)

 

 

 この原則よく出来てますね。

 

 ○内容

 ロボット心理学者の権威スーザン・カルヴァンの語る、人間を危機に陥れた様々な

ロボット達~心温まる愛情の話を枕に添えて~

 

 ○感想・考察

 三原則は絶対。のはずなのに、不可解な挙動をし、時にはまるで悪意があるかのようにさえ振舞うロボット達。

 そんな彼らの心理を考察しつつ事件の解決を図っていくという、まさかまさかのミステリ風味の話でした。

すべての話が、「ロボットが人間よりも優れていること」を前提として描かれてており、 だから問題が発生してしまうと、人間達はめちゃめちゃ慌てるしかない。反逆されたら負けるのが分かってるから。

 でもどの出来事(神を崇拝する/嘘をつく/人間かロボットかも分からないetc)

も、結局その背後には三原則がちゃんと機能していて、めでたしめでたし・・・とほっとしながらページをめくると、最後の最後で完全にやられます。

 「地獄への道は善意で舗装されている」という言葉を思い出しました。まあでも、地獄なのかどうなのかは人によって解釈異なると思いますが。

 アシモフさん多分したり笑いしながら書いたんだろうなー。

 

以上。

現場にいる私から/短歌

 短歌と四人称についてのこの記事を興味深く読んだ。

 

 たくさんあるわたし、というテーマを見たときいつも思い出すのは、漫画『ムーたち』のファースト自分、セカンド自分、サード自分・・・の概念。

 

 

f:id:marutetto:20180209133338j:plain

(ムーたち 2巻から スキャン適当でごめんなさい)

 

 同じ時間のなかでのわたしの分裂、というのはこれで知ったのだが、上の記事の場合、さらにそこに時間軸を設定していたとこが面白かった。

 

 そうすると、わたしって際限なく膨れ上がっていくんだなー、へぇー、と思ってたら、出来た短歌がこちらです。

 

・五番目の私がワタシに呼びかける「はじめまして わたしの名前は」

                              ――僕

 

  丁度昨日紹介した『ひだりききの機械』を読んでる途中で、そのなかの

 

・兄さんと製造番号二つ違い 抱かれて死ぬんだあったかいんだ

 

 という短歌と、あと 『君の名は。』の影響も受けてそう。

 

 ただ、私、ワタシ、わたしに対する「僕」だけが特別な存在になっているようで、そこだけがいまいち気に入らない。

 

 気に入らないなあと思いながらちょっと時間を置いて、その間にまた

 

私と私とわたしとわたしがぞうきんを部屋の隅から隅へとかける

 

 私と私と私と私はすこしずつ時間が違っていって、そのたびごとのわたしたちの共同制作により、本書は作られている。

(いずれも『ひだりききの機械』から

 

 なんてのを見つけたりして、おお何となく同じとこに意識を持ってそうで嬉しいなあと思いながら、ちょっと先の短歌を改訂したのがこれ。

 

・五番目の私がワタシによびかける 「はじめまして わたしの名前は」

                           ――詠み人

 

 これで一気に、今の「私」がどこにいるかのわからなさが出たかなと。

 でも好みによっては上の僕バージョンのほうがいい、という人もいるのかな。いずれにせよ、言葉のチョイスで大分印象変わって面白い。

 

 にしても我ながら中々良い短歌を作ったもので。もし他の誰かがこの短歌を詠んでたら「うおお才能ある」と思って唸ってしまいますね。たまには自分で作ってみるのも良いもんだ。

 

 というわけで、この記事は『ムーたち』を読んだ私と『君の名は。』を見た私と短歌時評を読んだ私と『ムーたち』を思い出してスキャンした私と『ひだりききの機械』を読みかけた私と一回目の短歌を詠んだ私と『ひだりききの機械』を読み終えた私と短歌を改訂した私と自分のセンスすげえなと思った私と今この記事を書いている私とその他全ての私達でお送りしました。

 

 以上(私)。

 

ムーたち(1) (モーニングコミックス)
 

 

 

ひだりききの機械―歌集

ひだりききの機械―歌集

 

 

 

君の名は。

君の名は。

 

 

発露する風鈴たち:『ひだりききの機械』 吉岡太朗著 短歌研究社 2014年

両手とも左手なのでひだりがわに立たないとあなたと手をつなげない

 

 利き腕がある機械、ていう発想。しかも両手ともひだり。不器用そう。

 

 

ひだりききの機械―歌集

ひだりききの機械―歌集

 

 

 

 ○内容

 「まだ京都に海があった」2006年から「ほぼすべてが陸地となってしまった」2013年までの短歌を収録した第一歌集

 

○好きな短歌10選

演奏にかたち取られた恋人の六分二十二秒の微笑み

 何かに心を奪われてる=体は抜け殻。でも微笑みは残った、てことかと思ったけど、「かたち取られた」が意味深。体ごと全部持ってかれてチェシャ猫みたいになってるってことか?

 

新しい世界にいない君のためつくる六千万個の風鈴

 一つ一つの音は小さくとも、六千万個もあれば届くだろうと。

 

自転車に乗るのが下手なともだちを自転車置き場につないで帰る

 お前なんか自転車になってしまえ!みたいな?

 

奪取した化粧室には窓がなく端正こめて描いた月の絵

 トイレに月の絵あったら一瞬立ち止まっちゃう。

 

「教室もいつかは雨に帰りたい」ベゴニア栽培雑誌に君は

 植物を育ててるのに、教室が帰りたがるのは雨なんですね。教室「も」の中に、「ベゴニア」が入ってるのか「君」が入ってるのかで解釈分かれそう。

 

君はまた教室裏で泣いている(教室裏は存在しない)

 どこにも居場所が無くてまた泣く。

 

傘をうつたびに雨からあまおとが剥がれていつか死ぬ身をわしは

 雨と何かが接触して音が出るんじゃなくて、雨粒自体に音が内包されてるという気づき。

 

遠雷に遅れて誰かの呼び声が聞こえる たぶんずっと前から

 多分、雷が鳴ってる時にしか聞こえない声。

 

片付けてしまった町を出しにいく駅員さんを君が手伝う

 町の代表は「駅員さん」なんだなと。駅は入り口でもあり出口でもあり。で、「君」はそれを手伝える。

 

もうなにもころさない手でいいからねわたし消えたりしないよずっと

  これなんかすげえ優しい歌。

 

10首選ぶのって難しいな。総じて良い短歌集でした。

 

以上。