短歌と四人称についてのこの記事を興味深く読んだ。
たくさんあるわたし、というテーマを見たときいつも思い出すのは、漫画『ムーたち』のファースト自分、セカンド自分、サード自分・・・の概念。
(ムーたち 2巻から スキャン適当でごめんなさい)
同じ時間のなかでのわたしの分裂、というのはこれで知ったのだが、上の記事の場合、さらにそこに時間軸を設定していたとこが面白かった。
そうすると、わたしって際限なく膨れ上がっていくんだなー、へぇー、と思ってたら、出来た短歌がこちらです。
・五番目の私がワタシに呼びかける「はじめまして わたしの名前は」
――僕
丁度昨日紹介した『ひだりききの機械』を読んでる途中で、そのなかの
・兄さんと製造番号二つ違い 抱かれて死ぬんだあったかいんだ
という短歌と、あと 『君の名は。』の影響も受けてそう。
ただ、私、ワタシ、わたしに対する「僕」だけが特別な存在になっているようで、そこだけがいまいち気に入らない。
気に入らないなあと思いながらちょっと時間を置いて、その間にまた
私と私とわたしとわたしがぞうきんを部屋の隅から隅へとかける
私と私と私と私はすこしずつ時間が違っていって、そのたびごとのわたしたちの共同制作により、本書は作られている。
(いずれも『ひだりききの機械』から
なんてのを見つけたりして、おお何となく同じとこに意識を持ってそうで嬉しいなあと思いながら、ちょっと先の短歌を改訂したのがこれ。
・五番目の私がワタシによびかける 「はじめまして わたしの名前は」
――詠み人
これで一気に、今の「私」がどこにいるかのわからなさが出たかなと。
でも好みによっては上の僕バージョンのほうがいい、という人もいるのかな。いずれにせよ、言葉のチョイスで大分印象変わって面白い。
にしても我ながら中々良い短歌を作ったもので。もし他の誰かがこの短歌を詠んでたら「うおお才能ある」と思って唸ってしまいますね。たまには自分で作ってみるのも良いもんだ。
というわけで、この記事は『ムーたち』を読んだ私と『君の名は。』を見た私と短歌時評を読んだ私と『ムーたち』を思い出してスキャンした私と『ひだりききの機械』を読みかけた私と一回目の短歌を詠んだ私と『ひだりききの機械』を読み終えた私と短歌を改訂した私と自分のセンスすげえなと思った私と今この記事を書いている私とその他全ての私達でお送りしました。
以上(私)。