寝楽起楽

ネタばれには配慮しない、感想/紹介ブログです。毎週1回更新 +α を目指したかった。

短歌ムック『ねむらない樹』読んだ 

 ある日、つぶやいた。短歌の雑誌をつくるほどの力はないけど、年二回のムックならどうだろう。一つには、『笹井宏之賞』の発表媒体が欲しい、ということ。もうひとつは、次々に短歌の世界に加わってくる若い歌人達の受け皿がほしいということ。そんな漠然とした思いに六人の編集委員が答えてくださった。

(編集後記から)

 

 若い参加者に好意的なの、ほんと良いことだよなー。

 

 

○内容

現代短歌(2001年以降のもの)100選/ニューウェーブ(1990年ぐらいから出てきたオノマトペとか短歌に入れこんだ人たち)のお話会/後他にも対談とか作品とか歌論とかエッセイとか色々

 

○感想

  書肆侃侃房ってとこが出版してるんですけど、まあまず初見でこれを読める人は居なかろう。しょしかんかんぼう、です。

これを覚えればそれだけで全人類を対象にした短歌偏差値ランキングで上位にいけるよ。やったね。

 

・ 書肆侃侃正しく読めばそれだけで上位になれる世界万歳

 

 

 

 『ねむらない樹』というタイトルは、笹井宏之さんの

 

・ねむらないただ一本の樹となってあなたのワンピースに実を落とす

 

 から来ているらしい。けどこの短歌、自分にはいまいちしっくり来ないというか、難しい。

こうした、歌に籠めてる思いみたいなもんをぼやかしてる(わけでもないんだろうけど)みたいな、風景に仮託させてるようなものはこのムックにも一杯入ってて、それらがどうも読み解けない、核心に迫れない感がある。

 

・使えないまま遠のいてゆくきみの高笑い、もう止そう向日葵 井上法子

 

 そんで、こういうのってなんとなくよくわかんないままに通りすぎちゃうことがしやすい作品でもあると思う。

立ち止まってしっかり見ようとしても得心させるのに時間がかかる予感がするから。

歌集も歌雑誌もそうだけど、一つ一つを作品としてみようとするとほんとに恐ろしく時間が必要。

 

 そういう意味で、「実」を落としても、受け止められるかどうかは「あなた」次第というところがあり。

 

 短歌を志す人は、だれもが自分のなかに自分だけの「ねむらない樹」を抱えて生きているに違いない。その樹は、どんな権威や強風にも揺るがず、孤高の志を持つ一本の樹として、すっくと立っていてほしい。

(扉絵から)

 

  とエールが送られているけれども、詠む前から「孤高」でいることを覚悟していなければならず、また詠んでもその題材を「使えない」まま終わるかもしれない、というのは、非常にしんどい作業だなあ。

 

 なんかこの本そのものじゃないとこに話題がいってしまったので話を戻す。

 

 『歌壇』とか『短歌』とかと違って、「特集」と銘打ってあるものでも中ぐらいの分量で、1Pだけのエッセイとかが多い。後もちろん短歌掲載のページも。

若い人を中心に、たくさんの歌人に場を与えようとしている理念が見えてて、非常に良いと思う。

 

 ニューウェーブ(萩原裕幸/加藤治郎/西田政史/穂村弘)の講演は、まずそもそもニューウェーブ・ライトヴァースという括りすら知らなかったので、新しい知見が多かった。

 

 特に加藤さんの、

「パソコンが登場したら文章が動ける(コピペ)ようになって感覚が変わった」話と、

穂村さんの「あまりにも世界観ができすぎていると指摘したらその批評は現代では駄目っていわれた」話、

水原紫苑さんの「与謝野晶子俵万智の成果を男は搾取してない?」って問題提起が

面白かった。

 

 某書店で購入したら、在庫検索機で在庫あり:40冊ってなっててびっくり。相場はわかんないけど、これは短歌本にしては(失礼か?)まあまあ売る気の設定ではないか?

がんばれ。増刷されるようお祈りしてる。

 

 

 この後は歌集を紹介してるときの恒例(?)、短歌十選です。ここが一番書くの時間かかる。

 この本、一番最初に現代短歌100首選んだっていう特集が一番最初に組まれてるんだけど、そこからは選出しないことにしました。

100選からさらに十選するってなんだかわけわからない作業だし、好きなのが多いのでそこだけで10首埋まってしまうので。読みたい人は買って読んで。

 

 

・旧仮名はコミュニケーション不全だとマクドナルドで女子高生が 枡野浩一

 ツイッターとかでよく見かける、マクドナルドで座ってたら隣の女子高生が○○って言ってた、みたいな「本当だか嘘だかよくわからないけど、ちょっと嘘っぽいような話」を総称して「嘘松」って呼ぶ文化が今年の初めぐらいから一瞬流行したことをご存知ですかね。

 個人的にはこの言葉が作られてから以降、どんな話にでもとりあえず「嘘松乙」とかくさすような輩が出現するようになって嫌な文化だなーと思ってたんだけど、枡野さんがそれを普通に短歌に取り入れててびびった。ので選びました。

 しかもこの短歌の次で、他全部新仮名なのに旧仮名わざわざ使ってるし。さすが。

 

・「っすね」と言ったのをみた瞬間にこころに終わらない雪あそび 武田穂佳

 「雪が降る」だとすごく平凡な歌になっちゃうところ、「雪あそび」ってしたのが大きなポイントだと思った。

 「百年の恋も冷める」みたいな話ってすごくよく聞くけれども、「雪が遊んでる」状態ならまだぎりぎり取り返しがつきそう。「雪が降る」だとたぶんもう駄目。

 

・でたらめをうたう孫と死んだ弟がいつしょにとびこんでくる私の腕 小宮良太郎

 思わず二人分の腕を広げた老人の姿を幻視する。小宮さんの弟はまだ若いうちに亡くなってしまっているらしいんだけれども、孫ができる歳になってもその存在を忘れておらず、そしてまた腕には一人分の感触しかないことに、改めて喪失を悟っているような寂しさもある。「でたらめをうたう」の溢れるエネルギー感もよい。

 

・おいおい星の性別なんか知るかよ地獄は必ず必ず燃えるごみ 瀬戸夏子

 これはもうなんか批評の言葉とか無くさせるような作品だと思った。

「燃えるごみ」が一番生々しい言葉として、しかも新鮮な文脈の中で使われているのが新しい。

 

・海と靴 それで十分足りている叙情に付け足せるなら何を 石井僚一

 「海と靴」という出だしだけで、そこに描かれていない靴にひいては寄せる波とか、あるいは青い空とか、雲とか、なんかそういう諸々を同時に思い起こすわけだけれども、さらにそれに何か新しいものを付け足してやりたいと思った、という非常に欲張りな短歌。

 

・「てつどうは私の一部なのです」と言うかのような青空と雲 大滝和子

 てつどう、青空、雲、が並んだ写真を見ると、普通は自然とどこまでも伸びていく線路の向こうとかに意識をもってっちゃうけど、そこに一緒に並べられている空と雲の、どっしり泰然としている様に着目しているという観点が面白い。

 

・ただいまの地震によって乱丁や落丁の恐れがございます 木下龍也

 本来はつながっちゃいけない二つのものをつなげている感。

 地震が起こっても、「乱丁や落丁」という自分の仕事のことだけをアナウンス、しかもそれすらも「ございます」という馬鹿丁寧な言葉によって薄ら寒く響くという、分客によって言葉の感触が著しく異なるという好例であり、怖い短歌。

 

・行き先の違うあなたを見送って場面転換するような雨 原田彩加

 

 発想としてはわりとありふれたものだと思うんだけど、下の句をどう想像するかによって解釈の余地が意外と広いのかなというところが面白くて選んだ。雨の瞬間に場面転換しているのであれば「私」と「あなた」は二人いないとストーリーが成立しないよね、ってことだし、雨が降ってきて、傘を開いて、私が歩み去るところまでをイメージするならあなたと居た余韻に浸ってます、てことだし、あるいは場面転換したら雨が降ってます、てことかもしれないし。

 

・ゴルフ打ちっぱなしの網に絡まってなかなか沈んでゆかない夕日 岡野大嗣

 これは着眼点賞。いやー。こんな視点ほしい。

 

・はじめからあなたに決めていました、と点滴のチューブをつたう声 笹井宏之

 老夫婦の情景を歌ったものかと最初は思って(だとしてもすごくきれいな情景だと思う)、でも笹井さんご自身が15のころから心臓を悪くされて26才で亡くなられてることを考えると、自分のことを歌ってるのかなあ。

 

 

 vol2、楽しみにしてます。

 以上。