女のいない男たちになるのはとても簡単なことだ。一人の女性を深く愛し、それから彼女がどこかに去ってしまえばいいのだ。ほとんどの場合(ご存じのように)、彼女を連れて行ってしまうのは奸智に長けた水夫たちだ。彼らは言葉巧みに女たちを誘い、マルセイユだか象牙海岸だかに手早く連れ去る。それに対して僕らにはほとんどなすすべはない。あるいは水夫たちと関わりなく、彼女たちは自分の命を絶つかもしれない。それについても、僕らにはほとんどなすすべはない。水夫たちにさえなすすべはない。
(本著p294より)
女性とジャズとカフェはまじ伝統工芸。
○あらすじ
女性運転手と契約した「ドライブ・マイ・カー」
52歳の本気の恋「独立器官」
狂ってしまった何か「木野」
今はもう居ない彼女ら「女のいない男たち」
以上6編所収。
○考察・感想
長編の息抜きとして書いている短編たちですらこういう話になるから村上さんはすげーよなー。執念を感じる。
そんなかでも、どろっとしたものがあったという点で、「独立器官」と「木野」はわりと好き。まあでも全体として傑作という風ではなく、 村上入門、もしくはファン向けの作品という気がする。
今回6つ読んでみて、彼の書く主人公ってものの見事におんなじ顔してそうだなと思った。それぞれの主人公を入れ替えてみたとしても、最終的には同じような結末に向かうんじゃなかろうか。
つまり彼が書きたいのはそこではないんですよね。何かって言われてしまうと困るけど。一言で説明できないから小説を書くんだ、という風にどっかで村上さん言ってたんで、読めばなんとなく伝わるんじゃないすかねぇ。無理に追う必要もないけど。
『女のいない男たち』であって、『女の出来ない男たち』ではないんだよなあ。後者を書いてくれたら発売当日に買うんだけどなあ。何が出てくるのか予想もつかん。
○印象に残ったシーン
初夏の風を受け、柳の枝は柔らかく揺れ続けていた。木野の内奥にある暗い小さな一室で、誰かの暖かい手が彼の手に向けて伸ばされ、重ねられようとしていた。木野は深く目を閉じたまま、その肌の温もりを思い、柔らかな厚みを思った。それは彼が長いあいだ忘れていたものだった。ずいぶん長いあいだ彼から隔てられていたものだった。そう、おれは傷ついている、それもとても深く。木野は自らに向かってそう言った。そして涙を流した。その暗く静かな部屋の中で。
そのあいだも雨は間断なく、冷ややかに世界を濡らしていた。
(本著p275-276)
わけわからん、みたいな評価もされることは多いけど、なんとなくこういう印象みたいなものはある程度共有できません?多分これも彼のテーマの一個なんだと思うんだよなあ。
以上。